投稿日:2023年4月30日
最終更新日:2023年10月4日 山歩きの会堺市陶器
最終更新日:2023年10月4日 山歩きの会堺市陶器
第81回 山歩きの会「堺陶器の里」
第81回 山歩きの会「堺陶器の里」
ガイドの小川さんは2回目です。ちょうど1年前の4月3日百舌鳥古墳群を案内してもらいました。
郷土愛の強いお方で今回の「陶器の里」のプログラムができた時にはメールを頂いて是非とのことなのでお願いすることにしました。
堺で陶器の里?きっと古墳群の築造の際の埴輪を焼いた窯跡が残っているのかと勝手に思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
土器から須恵器に代わる五世紀ごろ泉北丘陵地帯が一大生産地域になったらしいのです。
長く続いたそれまでの土器では水が漏れてしまう、もっ高い温度で焼く須恵器は薄くて硬くて水は漏れない。
土器は野焼きで 7、800 度ぐらいしかならないが、囲ってしまうと温度が上がる。
穴窯が発明されその跡が泉北ニュータウン開発時に数多く発見された。そしてここがヤマト王権の一大生産地であったことが解ったらしい。
石津川を下れば茅渟の海の大阪湾にでて製品を各地に運べる。
穴窯を作るのに適したゆるやかな丘陵がつづく。
そのような条件が重なったのだと説明を受けた。
泉北高速線の泉ヶ丘駅からニュータウン内の緑の遊歩道を歩きながら「陶器」の痕跡が残る地名を尋ね歩く。
復元窯跡、陶器藩お茶山、高倉寺、陶荒田神社、兒山家住宅、陶器城跡、陶器川、明石海峡が見える田園陣屋跡(曇っていたのと疲れていたのでパス)そして元の泉ヶ丘駅まで、
ざっと2万5千歩。
陶邑は「すえむら」と読む。陶器は「とうき」「すえき」?「すえき」と読むべしとのことでした。