投稿日:2023年4月8日
最終更新日:2023年10月4日
山歩きの会野崎観音飯盛山

第80回 山歩きの会「野崎観音から飯盛山」

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WRITER 畑田吉敏
会長
シニアメッセージ21へようこそ 我々のシニアメッセージ21はシニア層の生きがい全般に関する情報発信、親睦交流会、カルチャ講演会の企画運営を行い、会員及びその周辺の人々の心と身体の生きがいづくりに貢献することを目指しています。 メッセージペーパー「TOS・TAG」の発行、「山歩きの会」にて山歩きやハイキング・見学会の開催、「月例会」としてカルチャ講演会や交流会を行なっています。
第80回 山歩きの会「野崎観音から飯盛山」

第80回 山歩きの会「野崎観音から飯盛山」

「野崎参りは屋形船で」子供のころ耳にした歌謡曲の一節である。
その野崎観音が当時の片町線沿いにあることは薄々知っていたが訪れたことはなく一度行ってみたいと思っていた。

今年の初めに観音様にお参りする機会があり、その奥に飯盛山があることを知った。
三好長慶の居城がその山頂に跡が残っているとの説明に興味が湧いた。
三好長慶のことは詳しくないが信長の登場前に近畿を治めていた権力者であったらしい。
室町幕府の管領細川氏の家臣からのし上がったってきた人物である。
ドラマなどではあまり取上げられず我々の印象も薄い。でも山城には興味がある。
昨年の11月には山城跡の高取山にも登っている。

東西線の野崎駅に集合しガイドさんに連れられて昔の船着場の観音浜跡によって、商店街の参道を麓まで行くと百段を越える階段が出迎えてくれた。
お参りした後はまたも階段状の山道を登り七曲りを経て大東市立野外活動センターで昼食をとった。少し登ると山城の虎口(大手門)に着いた。

千畳敷と言われる居住域を散策し北へ進むと270度の展望が開けているスポットに出た。
京都盆地から淀川を眼下に大阪市内の高層ビル群が一望できる場所である。
しばらく眺めていると、長慶がここに城を築いたことが解る気がしてきた。
ここから山を下って小楠公、楠正行(まさつら)の祀られている明治に建立された四条畷神社をお参りし、最後に正行が眠る墓所の大きな楠をみて今日の山歩きは終わった。

百を超える階段を登ると野崎観音の山門

百を超える階段を登ると野崎観音の山門 イメージ

山城の大手門虎口に到着

山城の大手門虎口に到着 イメージ

山頂の展望台後ろが大阪市内

山頂の展望台後ろが大阪市内 イメージ

270度展望スポット天王山から奥が京都盆地

270度展望スポット天王山から奥が京都盆地 イメージ