投稿日:2023年10月1日
最終更新日:2023年11月21日 山歩きの回古墳めぐり西飛鳥
最終更新日:2023年11月21日 山歩きの回古墳めぐり西飛鳥
第82回 山歩きの会「西飛鳥の古墳めぐり」
第82回 山歩きの会「西飛鳥の古墳めぐり」
1週間前から天気予報を何度も見た。朝の9時には雨は止む、よし決行だ。
大阪の家を出るときザザ降りの雨、飛鳥駅に9時過ぎに着いたときは止んでいた。
さすが日本の天気予報。
ガイドの公門(こうもん)さんと落ち合い岩屋山古墳へ歩いて行った。
玄室や羨道は自由に入れた。
次に本日のメイン復元された牽(けん)午子(ごし)塚(つか)古墳、十数年前に訪れた時とは様相が全く変わっていた。
周りの樹木は伐採され展望が開けている。
今日はあいにくと曇っていて山々ははっきりと見えない。
条件が整えば高取山の石垣が見えるらしい。
この古墳には斉明天皇(女帝)と間人(はしひと)皇女と孫の建(たける)皇子が眠っているとの説明であった。
牽午子とはアサガオを意味するらしく入口付近には朝顔が沢山植えられていた。
またすぐ隣には越塚(こしづか)御門(ごもん)古墳が重なるように配置されている。
ここには太田皇女が眠っている。斉明の孫であり持統天皇の姉であり大津皇子の母親である。
ここを後に山道を歩いて東漢(やまとのあや)氏(うじ)の首長クラスが眠っているであろう真弓鑵子(かんす)塚古墳へ向かった。
ここからが大変であった。
上がっているはずの雨が降ってきた。
時にはシトシト、時にはザアザア、お昼を予定していたマルコ山古墳に着いたときにはとても屋外で腰を下ろす状況ではなかった。
お腹がすいているのを我慢して草壁皇子が眠る束明神古墳のある春日神社までまた歩いた。
2時を過ぎていたがお弁当を見ると皆の顔が明るくなっていた。