投稿日:2022年4月7日
最終更新日:2022年5月10日
山歩きの会百舌鳥古墳群

第72回 山歩きの会「百舌鳥古墳群散策」

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WRITER 畑田吉敏
会長
シニアメッセージ21へようこそ 我々のシニアメッセージ21はシニア層の生きがい全般に関する情報発信、親睦交流会、カルチャ講演会の企画運営を行い、会員及びその周辺の人々の心と身体の生きがいづくりに貢献することを目指しています。 メッセージペーパー「TOS・TAG」の発行、「山歩きの会」にて山歩きやハイキング・見学会の開催、「月例会」としてカルチャ講演会や交流会を行なっています。
第72回 山歩きの会「百舌鳥古墳群散策」

第72回 山歩きの会「百舌鳥古墳群散策」

時折小雨に見舞われたが、桜は満開で有意義な一日を過ごすことができた。

まず観光案内所で空撮映像を見て前方後円の形を認識してから仁徳天皇陵を一周をした。
三重の堀は非常に珍しく、この三番目の堀は明治時代に掘削されたとの説明、築造当初から三重であったかどうかは意見が分かれているらしい。
また培冢(ばいちょう)(付属古墳)も沢山あったそうでその一角が大仙公園として整備されている。
そこを南に行けば履中天皇陵の後円部に突き当たる。新たにビュースポットが整備されていてほとんどの観光客はここまで。
我々はここから桜並木を通り前方部へ回った。
説明によれば履中天皇陵古墳は仁徳天皇陵古墳より築造が古いらしいが、ここでは深く考えることは控えてく。
そのあと阪和線の踏切を東側に越えていた(・・)すけ(・・)古墳へ行った。

樹々は伐採されていて墳丘の形をはっきりと見ることができた。
堀には橋の残骸が残っていた。
昭和30年ごろここを別荘地として宅地開発されそうになって保存運動が起こり難を免れた。
その象徴がこの橋なのだ。次に御廟山古墳、百舌鳥八幡宮、ニザンザイ古墳を廻り終点の中百舌鳥駅に到着した。
    
なぜ百舌鳥や古市に古墳が多いのか?百舌鳥をなぜ「もず」と読むのか?八幡宮とニサンザイ
古墳の関係は?チョット教科書には載っていない濃いお話をボランティアガイドの小川さんから聞かせてもらもらった。
興味あふれる一日でもあった

大仙公園にて ガイドさんの説明きいていますか?

大仙公園にて ガイドさんの説明きいていますか? イメージ

履中天皇陵のビュースポットにて

履中天皇陵のビュースポットにて イメージ

履中天皇陵の西側の桜並木道 

履中天皇陵の西側の桜並木道  イメージ

いたすけ古墳の橋の残骸

いたすけ古墳の橋の残骸 イメージ