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シニアメッセージ21
シニアメッセージは大阪でシニア向けのサークルや交流会、カルチャー講座、パソコン教室を企画・運営。健やかな高齢者が第2のライフスタイルを見つけ、生きがいづくりや仲間づくりを通じて健康と福祉の向上に貢献します。
2025-09-23T15:33:38+09:00
シニアメッセージ21
https://seniormessage.com/column-229.htm
第4回 遊人亭 だん扇さん落語会
2025-10-13T15:33:38+09:00
2025-09-23T15:33:38+09:00
畑田吉敏
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第4回目となる遊人亭だん扇さんによる落語会です。今回も入場無料で落語を聞かせてもらいました。古典落語の「茶の湯」をしていただきました。軽妙な語り口で表情豊かにみんなを笑わせてくださいました。
https://seniormessage.com/column-223.htm
第94回山歩きの会 「赤沢森林鉄道と上高地・乗鞍岳1泊2日」
2025-10-13T15:56:48+09:00
2025-07-07T15:56:48+09:00
畑田吉敏
[email protected]
今回は山歩きの会番外編として、上高地と乗鞍岳に行くバスツアーに参加してきました。以前山歩きの会で、乗鞍岳に登る予定が初雪で登れなかったので、今回はそのリベンジも兼ねていました。天気予報では雨だったので心配していましてが、傘をさすこともなく無事に楽しむことができました。
https://seniormessage.com/column-217.htm
第93回 山歩きの会「春日山原始林を歩く」
2025-06-21T18:38:36+09:00
2025-06-02T18:38:36+09:00
畑田吉敏
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奈良はすごいですね!近鉄奈良駅から小一時間歩いて原始林の中に入れる。春日山原始林です。山の中には入れないのですが周遊道路を歩いてきました。昭和初期に整備された道路です。その一部は奈良奥山ドライブウェイと重なっています。ドライブウェイと言っても終日で数台の車しか出会いませんでした。両側は鬱蒼とした木立に覆われ下手を見ると急峻な崖になっています。照葉樹と落葉樹との混在でモミジ類が目立っていました。この森は厳密には原始林ではないようです。平安時代から人の手が入っていて16世紀には秀吉が約1万本の杉を植林した記録が残っているようです。この日はあいにくと曇りだったので木漏れ日を楽しむことができませんでした。春先の晴れた日ならばもっと美しい森を楽しめたのにと思いました。ただ道幅が広いのと勾配が緩いので非常に歩きやすかったです。そのせいかジョギングを楽しんでいるグループにも多く出会いました。また外国の方を多く見かけました。多分ネットで探して来ているのでしょう。春日山の英語の紹介動画もありましたから。9時から歩き始めて17時に近鉄奈良駅に到着、万歩計を見ると3万5千歩でした。
https://seniormessage.com/column-213.htm
第92回 山歩きの会「纏向遺跡を歩く」
2025-06-21T18:37:30+09:00
2025-05-11T18:37:30+09:00
畑田吉敏
[email protected]
JR奈良駅からまほろば線に乗り換え、9時30分、目的地巻向駅到着。 ボランティアガイドさんと待合わせ、大規模集落遺跡の纏向から8名でスタート 。石塚・勝山・矢塚・東田大塚・箸墓・ホケノ山・茅原大墓・狐塚・弁天社の9か所の古墳を巡りました。それぞれ特色ある古墳でしたが、中でも纏向遺跡の南側に位置する箸墓古墳(3世紀中頃~後半、前方後円墳280m)は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とも言われています。卑弥呼が治めたとされる邪馬台国の話は以前より九州説と畿内説があり、約35年前吉野ケ里遺跡が発見されこの吉野ケ里ではとの説に傾きましたが、実は纏向では?と再び論争になっています。纏向遺跡は出土物から農村ではなく政治や交易の中心地で、日本最初の首都であったと考えられています。当時の様子を記した魏志倭人伝(中国の書物)によれば日本はいくつのも国があり争いが絶えず話合いにより一人の女王、卑弥呼を立ててその下にまとまった?但しまだ2%の発掘で決めては見つかっていません。古代のロマン溢れるこの纏向の地、出来ればタイムスリップして当時の様子を見てみたい衝動にかられます。また歴史の重みと後世に伝えていく必要性も強く感じました。 今回の散策は、遠くに二上山を眺めながら三輪山の山裾を巡る、終始清々しい気持ちの散策でした。※上の写真が卑弥呼の墓かもと言われている箸墓古墳です。
https://seniormessage.com/column-210.htm
第91回 山歩きの会「かぎろひの丘万葉公園」
2025-04-27T23:58:27+09:00
2025-03-30T23:58:27+09:00
畑田吉敏
[email protected]
この会で近鉄榛原駅下車は過去4回あります。第23回三峰山、43回額井岳、44回高見山、73回室生古道そして今回の大宇陀地区かぎろひの丘万葉公園です。榛原駅からバスで南へ約20分の場所に位置し江戸時代には交通の要所でもあったそうです。その名残りの古い街並みが宇陀松山重要伝統的建物群保存地区として指定されています。そして万葉の時代には宮廷の藥狩りの場所でもありました。宮廷歌人柿本人麻呂が軽皇子のちの文武天皇の薬狩りに随行し皇子をたたえる歌を詠んだところでもあります。「ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみじば)の過ぎにし君が形見(かたみ)ぞと来(こ)し」「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾(かたぶ)きぬ」このかぎろひを見るために造られたのが「かぎろひの丘万葉公園」です。旧暦の十一月十七日の夜明け前にかぎろひを見る会が催され毎年100名ほど集まるそうです。薪能はよく耳にするのですが蛍能は初めて耳にしました。夕方暗くなって舞台が始まる前に明かりを消して一斉に蛍を放す。そして演目が始まるそうです。我々が訪れたときは誰もおらずひっそりとしていましたが蛍の舞う境内を想像すると一度は見ておきたいと思いました。またここには今でも薬草園が2ケ所あります。その一つが山城である松山城跡の登り口にありました。ただそれは薬に使うためではなく万葉の時代からある植物の種を残すためにとのガイドさんの説明がありました。言い換えると、ここはいにしえの時代から引き継がれている大和の自然がいまでも残されているということでしょうか。そんな宇陀を堪能した一日でした。